
庭園拝観入口と書いてあるところへ


お靴脱いで入ったら、目の前に屏風


順路は左へ


右、御朱印貰うところの社務所(売店)
その前を通り過ぎて目の前



4代目)直興公の寄進により再建された。
画像右に群がってるのは




確かに廊下は鴬張りで、二条城の様にキュキュ言ってました。
画像左側


左に見えてるのは


画像下部分




ている。吊り欄間(らんま)に仕切られた整形六室(せいけいろくしつ)の方丈造りで、禅寺の
典型的な造りである。 本堂内の廊下は鴬張りとして有名。
この向かいに見えてるお庭


後に向こう側から本堂全体を写します。

更にお庭を左、本堂を右にして通路先


画像右側、本堂の左隣のお部屋には


大河ドラマゆかりの品々

画像左には、直虎の像


画像右奥、部屋の奥には



では先程の画像、通路の先へ行き、通路右に見えた


後に行く、萬松稲荷
まずは画像左へ真っ直ぐ進み


画像目の前に見えてる


開山堂

当寺を臨済宗とした黙宗和尚とその師である文叔(ぶんしゅく)和尚の木像が祀られている。
県下では珍しい2階建ての楼閣造(ろうかくづく)りで、塔上に井伊氏の家紋彦根橘、彦根
井筒(井桁)を見ることができる。
画像右の扉へ入って行きます


入って目の前に


知らずに見学してたけど、皆様お手を合わせてるのは歴代住職が
祀られてるから・・・

画像右下にお籠


物凄く小さいの・・・ 今の人達は入れないわ・・・
ここを出、建物右側へ歩いて行くと


奥突き当たりは、流石に中は撮影しにくい井伊家御霊屋

堂内には元祖共保公、22代直盛公、23代直親公、24代直政公の木像を安置する。
直虎と母・祐椿尼の位牌や幕末の大老井伊直弼公の位牌もお祀りされている。
左に貼られてる板の家系図、直虎が最近でしょう・・・
訂正され、付け加えられてました。
ここから通路戻り、本堂裏側を


左に見えてるお庭が、ここのウリ、意味があって作られたお庭
なのです。 先程通った通路を戻り


左に曲がるとこの通路
その先は、先程全体図を写した


萬松稲荷へ 画像人が居る辺り左に



また、寛政8年(1796)十四世仲山和尚代には稲荷堂が再建される。
正夢(まさゆめ)稲荷と呼ばれ、祈れば夢が叶うと言われている

この通路突き当たり


画像左へ


通路左側

通路右側のお部屋


そして通路突き当たりに見えてくるのは


画像左側


更に左側


ここのウリの龍潭寺庭園です


配され、さらに池の形が心字池となっていて典型的な寺院庭園として貴重なものとされ
ている。
書院からの眺めは、井伊家のお殿様が御霊屋のご先祖様に対してご挨拶をされた
「遥拝(ようはい)のお庭」である。
通路突き当たり右に曲がると


縁側でお庭がこうして拝見出来ます。 説明の放送も流れる
ので、それ聞きながらお庭の構造を見て行きます

池泉鑑賞式庭園である。
中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(坐禅石)が配され、更に池の型が心字池
となっていて寺院庭園として代表的な庭である。
数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されている。
岩は、地元で産するチャート(通称山石)を使い、明るくすんだ庭である。春のさつき、
秋の満天星(どうだん)と四季折々の変化にも富み、昭和11年国指定名勝となるが、
まさに東海一の名に恥じない名園である。
通路突き当たり左へ行くと、右のお部屋


画像左側から向こう側の社務所へ戻って


画像真ん中に見えてる社務所


画像の左奥の出入り口で出て、右側を


外からの本堂
次回はお外の探検をご紹介します


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本日は大残業日・・・ 明日は請求書作成日なので記事更新
出来ないかと・・・ そのまま土日休みへ突入~~

早くお休みしたい・・・
やはり睡眠不足状態・・・ まだ体調悪くは無いけど・・・
土日は、南国トロピカル・京都展がおデパ~トであって、行ける
かなぁ~・・・
買ってもなかなかご紹介出来ないし・・・
GW記事終了したら、4/7迄遡ってのご紹介になるので・・・
いろいろ画像、貯まってきました・・・
明日から会社の人事異動があり、営業部長だった者が、新所長
の座取られてから降格状態・・・
倉庫のお手伝い・・・仲良しおじさんが定年近いので・・・(60超え
てるので毎年更新契約)
だけの肩書きだとかなり不満だろうから、新所長はこれから大物
得意先へ出向いて行く様、本社命令されたのでお席空くから、
いつもあっしが代理って訳には行かないので、所長代理の肩書き
も付いてのお仕事もし・・・
結局あっしがバックアップするんでしょうけど・・・
なんだか可愛そうで・・・ 最悪じゃない・・・
60迄あと4年あったけど・・・因みにあっしらは65歳定年に伸びて
ます・・・
前所長が定年退職になってからいろいろ変わり、本社もム~ミン
こと新社長(次男坊)になってからいろいろ変わってて、いい事も
悪い事もいろいろ・・・
勤続年数長い方々を大事に・・・とか言ってる割にはこの仕打ち・・・
あっしはまだ女だから出世無いので変わらずでいいけど・・・

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その前に、前記事で忘れてた物


エアパークでのお土産は、またもやいいのが無くクリスタルの
置物になってしもうた・・・


またもや、見えるかなぁ~・・・

勿論、シンボルのブル~インパルス

では、この後に向かったのは


昨年やってた大河ドラマ「おんな城主 直虎」の
井伊直虎ゆかりの地で

井伊直虎の父が今川氏に殺され、許婚(いいなずけ)も命を
狙われた為逃がし直虎は許婚が亡くなったと思い、出家し次郎
法師を名乗ってお家の隣にあったお寺で修業した場所へ

目的地に着き、駐車場から売店方面を


売店建物左側を歩いて行きます。 売店の左壁に


浜松城では同じゲ~ムのキャラクタ~で家康が居ましたよね

(http://hokkaidounahibi.blog.fc2.com/blog-entry-51.html)
売店建物左を歩いて突き当たりに看板


右下駐車場から歩いてます。 画像左側にも看板


ここの周りにはゆかりの地が他にもありますよぉ~の案内です。
画像右側へ歩いて行きます


井伊谷 龍潭寺(りょうたんじ) 画像右に見えてる看板



石段


途中の左に瓦


目の前の、山門



山門に架かっている山号額は「萬松山」と書かれており、朝鮮通信使の雪峯(せっぽう)が
彦根藩井伊氏のもとで書いたものが龍潭寺に納められた。
門は本瓦葺きの四脚門で、江戸時代前期(1656年・明暦2年)に再建された。

門くぐって右側へ


画像真ん中から左へまた登り、上りきると目の前


歩いて行き、画像お二人の辺り左に



龍潭寺では一番古い約400年前の建物。
直政母が再婚した松下清景の養子となった松下一定(中野直之の次男)が寄進した建物。
建物の痛みのため下部分を切り取り、現在は低くなっている。
そのまま真っ直ぐ進み突き当たりに


庫裡(くり) 文化12年(1815)

庫は財物を蓄えるところ、裡は裏の俗字で内の意。
入口に拝観受付所がある。
禅寺特有の大破風が美しい庫裡は、文化12年(1815)に第14世住職の仲山和尚代に
よって建立された。 間口は9間、奥行き14間の堂々たる近世の代表的建物である。
拝観料金 大人(高校生以上) 500円
9:00~16:30(17:00 閉門)※拝観所要時間 約60分
休観日 毎年 8月15日、12月22・23・24・25・26・27日
※休観日は毎年同じです。
次回は拝観のご紹介です


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説明を聞きながら上手く探す事が出来なかったけど・・・(苦笑
中の建物はとっても広いので、次回に回しました。
大河ドラマ直虎見て無かったら、来てなかったと思います。
女城主 直虎と言う人物が居たのも知らなかったし・・・
明日はいよいよ月末日で大残業日・・・
昨夜は寝る為に、足のざわつき感が出ない様に、神経は寝る
前に本読んで(PC見ず)、ベッドの上で足のむくみ取りストレッチ
したり、いろいろやってみました・・・
ちょっとはざわついたけど、なんとか寝られました・・・
ので、本日は体調いいです

でもこの体調、明日であったらいいんだけど・・・
(金)もプチ残業なので、疲れ果てます・・・
エステも月1状態になっちゃったし・・・
土日はどこへ行こうかなぁ~~ 発散したいです


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2・3階のご紹介です


の携行品などを展示紹介しています。このフロアーから迫力満点の全天周シアターに
入場します。
2階へ階段で登ったら目の前に


画像左へ歩いて行きます。 左には


ブルーインパルスコーナー
画像右、通路突き当たり方面


画像右側


航空機(模型) 通路奥、突き当たり


搭乗員装備品・救命装備品 画像右へと曲がり


画像突き当たりは隣の建物、展示格納庫へ行く連絡通路
画像右曲がり右は


航空機搭載武器 画像左一面に


ラインメタル 対空20ミリ2連砲 画像左側


車両等 画像右側


地上武器と地上機器 画像右側に


対空機関砲VADS

画像左に見えてる入り口が


全天周シアター

エスコートします。
3階迄続いてるスクリ~ンで、多分出口は3階
整理券無かったので見られませんでした。
ここから階段で3階へ行き、目の前


きっとここが出口 画像左側


情報検索コーナー

情報検索コーナーでは、防衛省及び航空自衛隊に関する情報をパソコンで検索すること
ができます。また、浜松基地に所在する第1航空団で訓練しているジェットパイロット学生
と同じ飛行コースを体験することができる簡易シミュレータは大人気のコーナーのひとつ
です。(混雑時はお1人様1回で、お待ちのお客様とお代わり下さい。)
ここは最後にし、右回りで目の前突き当たりに


画像左側


先程の画像真ん中に


浜松基地 ミニチュア模型 先程の喫茶迄の通路右側


防衛省及び航空自衛隊広報展示 右側


通路突き当たって左側に図書館があり、左の窓越しから


情報検索コーナーの奥が図書館で、その左側窓辺でした。
画像右側へ車が連なってるのが気になり右側を


ここに停めてどこへ行かれるのか・・・ いまだ不思議でなりま
せん・・・ 窓辺から喫茶コーナー方面を


画像右側が情報検索コーナーでした。
ここで、過去のブルーインパルスの飛ぶ姿を動画で見ました。
お外に出、建物左側に駐車場があるので、そちら方面の野外
展示物を見学し


画像左へ歩いて行きます

更に画像左へ


手前にあるのが少々動いてたので



サラリとご紹介させて頂きました

次回は次に行った直虎ゆかりのお寺のご紹介です


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上がった様です。
外壁工事やPM2.5で喉ザラザラ状態で、たまに咳き込んで
しまいます・・・マスクしてるにも関わらず・・・
昨夜も早寝出来たけど、寝落ちする時やっぱり足先ざわついて
起きちゃう症状と闘っていてなかなか寝られず・・・
血液の流れが悪くなって痺れるのか、神経高ぶってるのか・・・
自分なりに調べてみると、ドーパミンが異常なのかも・・・
寝ている時に、正座の痺れの様に、血液流れてない状態だった
から痺れた・・・が起きちゃって・・・
今宵は洗濯大会なので、早寝出来るかなぁ~・・・
大残業週なので体調整えて行かないとくたばるわ・・・
今朝も、伝票書き間違えミスで、お荷物やらお得意様に大混乱
起こさせたババ・・・
あっしがミス見つけたんだけど、最近改心して気持ち悪いくらい
気を使ってくるって話した通り、今まで謝りにも来たことにゃい
ババが、謝りに来て、ミス見つけてくれて助かりましたって気持ち
悪いの・・・
そんな接し方されると全く怒る気しないぽん・・・
今までの怒り等がなんだったのか・・・な状態・・・

逆に今回のミスを発見出来なかった新所長が、チェックミス
してるのに平然と人のせいにしてるところに怒りを感じ・・・
そしてやはり、あっしを信用してない行動に出るのがイラっと
きたり・・・ 改心されてもそこだけは信用問題です・・・

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ご紹介です

今度は全体の建物左側へ


入る前に画像右側


左右建物の連絡通路が写ってます。
中に入って目の前


画像上部分


展示資料館3階迄あります。
中に入って左寄り


右に写ってる目の前の


順路左なのに右へ歩いて行きます


画像左に曲がり





画像左の突き当たり


画像左に折れると



突き当たりに





画像右側にコックピット


画像左側


画像奥突き当たり




画像右側に階段


ここから2階へ行きます。
次回は2階のご紹介です


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皆さんも、何かと(月)ってお忙しくなりますよねぇ~・・・
昨日迄の土日は、いいお天気なのでドライブしてきましたが、
あまりお写真撮ってなく・・・
今週は大残業週・・・ 毎日きちんと寝られます様に・・・


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浜松駅では浜松まつりが開催されてたので、遠回りしながら浜松
餃子とエアーパーク(航空自衛隊 浜松広報館)へ行きました


駐車場から全体の右側です(こちら側の建物から見学しました)

です。戦闘機や装備品の展示をはじめ、シミュレータや全天周映像シアターも設置。
画像左側


更に画像左側


全体の右側の前に


初代のブル~インパルス

航空自衛隊はココが主点で、ブル~インパルスもここから全国へ
出張してます。
デッカイドウも、千歳の航空祭には出張してくれます。
昔、安室ちゃんの主題歌でドラマ空飛ぶ広報室で知りました。
ブル~インパルスの画像左側へ入って行き、左の建物入り口


画像右側にも入り口


多分順番からすると左から見学して行くのでしょうけど(連絡通路が
あるので)、右側から入ってしまった・・・
中に入って目の前


展示格納庫

主に、航空自衛隊が使用した航空機を中心に展示(19機)しております。
一部の航空機は操縦席への着座も出来ますので、是非ご利用下さい。
画像上


左回りでぐるっと回ってくるので、しばしご覧くださいませ。
早速画像左


更に左側へ


画像真ん中に写ってる航空機



民間型をベースに様々な装備を搭載し、救難捜索機として使用された。
1967年~78年までに29機取得 1995年よりフェードアウトが進行
後継機はU-125A。
前の階段は


コックピット着座可能(※日により着座可能の機体が変わります。)
画像左側


フライト・シミュレータ (GWなので整理券無くなってました)

ことができます。
また、初級・中級・上級が選べますので初心者でも楽しむことができます。
画像右へ歩いて行き、右側


ヘリコプター
画像左側にまた着座可能機


画像左側は先程写した着座可能機、右側より



F-1は、T-2高等練習機を単座化し、全天候攻撃・航法システムを追加した戦闘機で、
1号機は1977年6月16日に初飛行しました。
1977年9月6日~87年までに77機が導入

先程右側のヘリ



輸入:ボーイング・バートル 国産:川崎重工
1966年~陸上自衛隊で採用(国産機)
1967年~航空自衛隊で採用(国産機)
S-62の後継として救難機として使用された。 後継機はUH-60J。
ずんずん歩いていって左側



航空自衛隊で初の全天候戦闘機でF-104の配備により用途廃止。
1958年~68年までに122機配備(米軍からの供与) ライセンス生産はされなかった。
画像左側


先程の2機目の着座可能機を右側から

F-104Jは、F-86Dの後継機として導入れました。
1~3号機は、ロッキード社で生産
4~20号機は、国内で再組立てのノックダウン生産
21号機以降は、三菱重工中心によるライセンス生産
1962年~67年までに210機が導入
※練習機型も20機導入されました
ずんずんまた進んで、真ん中部門の奥通路右側


左上チラッと見えてる上



T-34練習機(メンター)の後継機。初飛行は1974年9月。
初等練習機として、11・12飛行教育団に配備され、地上教育を終えたパイロット学生が
初めて乗る航空機として使用された。後継機はT-7。
画像左下、左側奥


また着座出来、この正面にある画像右側も



T-2は国産初の超音速高等練習機として、1967年に開発が開始されました。試作機が
1971年7月20に初飛行しています。T-2には、戦闘操縦基礎課程に用いられた前期型と、
機関砲等を装備し戦闘操縦課程に用いられた後期型とがあります。
1975年3月26日~98年3月7日までに96機が導入
※展示機はブルーインパルス仕様
最初から、ブル~ではなかったんですよねぇ~
これは2代目だったはず・・・
Zくん、どれか着座したいなぁ~とは言ってたけど、時間かかる
から止めました・・・
画像右側へ歩き


突き当たり


画像右側へ


画像真ん中は


T-6練習機の後継機として、配備された国産ジェット練習機。
輸入エンジンでの初飛行は、1958年1月
国産エンジンでの初飛行は、1960年5月
主に13飛行教育団において、ジェット練習機として使用された。後継機はT-4。
画像右側


先程のヘリの後ろで、凄いのよぉ~


と思い、写してみました。

館内入って左側に2階への階段があり


ここで、隣の館から連絡通路で来られる様になってる様で・・・
あの、「政府専用機の座席」ってのが気になり


もぉ~かなり汚くて座らなかった・・・

政府専用機で実際に使用された座席を展示しています。

ここ2階から館内全体図


右側


左側


こうなってました

画像真下の、シミュレータを見てゆったりしました。
次回はこの隣展示資料館のご紹介です


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本日のデッカイドウ気温、16℃・・・ 冷たいです・・・
あ~~ようやと明日お休みだ~~~
今宵、思いっきり寝ます


実は最近、ダムカ~ドに続くあるカ~ド集めをZくんは夢中です

全国にあって、50周年で出した物なので、無くなっていれば
無い代物・・・
GWのご紹介が終れば、4月のZくんお誕生日お宿から遡って
ご紹介するので、その時に登場します

お楽しみに~~
ってことで、明日明後日のお休みはそのカ~ドを貰いドライブ
です


とりあえず今は、早く帰りたいです・・・


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浜松餃子が食べたく何件かピックアップしてた中で、一番隠れ家
的で行列にならないであろう住宅街のお店を探しに行き、空いて
たから11:20でもぉ~ランチしに行きました


頼んだ部分



店内入ってすぐ左のカウンタ~に座ったので、あっしの目の前
厨房


カウンタ~の小物達


焼き餃子を15個頼み


キャベツがざく切りでしゃきしゃきして美味しかったです

あっしは酢に胡椒振ったので餃子を頂きます

そしてこのお店のウリでもあったので頼んでみた


肉巻き餃子 6個

餃子の皮の代わりに餡を豚肉で包んだもの。
タレが付いてるので、そのまま頂きます。 レモンもかけて頂い
たりしました



そして普通のチャーハン


ニンニクチャーハンにしたかったけど、臭かったら困るので、普通
のに。 普通だけど凄く美味しかったの


わかめス~プも凄く美味しかったお


お忙しくなりチャーハンが肉巻きから20分後に来て、遅くなる旨、
先に謝られてたから全然餃子で待てました

しかも冷凍物をテイクアウトのお客様、まだまだ外で待たれてる
行列・・・ 穴場だったんだけど、大人気店で当たりでした

お隣の席は地元の方だった様で、ビ~ル片手に餃子25個のみ
食べて帰られました。(ご夫婦で)
次回はこの後に行ったエアーパークのご紹介です


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本日は空気がとってもいいんですが、会社のビル外壁工事やら、
お外の市の草刈処理で空気が・・・
やはり昨夜早目に床に入ったけどなっかなか寝付けなくて・・・
寝落ちしようとすると足先が神経起きてるし・・・
やっぱり昨夜もアスパラ液

なので枕元に置いてるんです・・・
明日で今週の仕事も終わり

夜はゆったり録画ドラマ&アニメでも見て過ごそうと思ってる
けど、洗濯大会さ・・・

土日は思い切りゆったり楽しみたいです


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行く予定では無かったけど、浜松城で情報得た家康ゆかりの
散歩道の一つが気になり行ってみました


犀ヶ崖古戦場

徳川勢と武田勢との三方ヶ原の合戦(1572)は夜になって徳川勢は敗走した。
追いかけてきた武田勢は地理不案内のうえ、夜のため多くの者が崖から落ちて大損害を
被ったという。史跡碑と資料館(宗円堂)がある。
また崖の傍に大島蓼太(りょうた)の「岩角に兜くだけて椿かな」の句碑がある。
(蓼太は「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の句で有名)


浜松は、戦国のころまで引間(曳馬・引馬とも書きます)と呼ばれていました。 元亀元年
(1570)徳川家康は遠江地方を支配する拠点として引馬城に入城、城の大改築を行い
ました。このとき引馬を浜松に改めました。
家康の浜松城の築造が浜松の名の出発点となったのです。
そして天正14年(1586)駿河府中に移るまでの17年間、家康は浜松に在城すること
になります。家康にとっては29歳から45歳の働き盛りの年代にあたります。
この間、武田信玄と戦った三方ヶ原の合戦や、家康の転機ともなった姉川の合戦など
の経験をもとに多くのことを学び、、名将家康へと飛躍していくのです。
看板画像右側に


平成27年4月1日(水曜日)にリニューアルしてしまった、
犀ヶ崖(さいががけ)資料館

また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されて
きました。 遠州大念仏はこの戦没者の供養のためとされています。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、
昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦い
に関する資料を展示することにしました。
この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる
文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和
14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。

(リニュ~アル前の宗円堂 画像お借りしました)
http://hama.world.coocan.jp/saigagakeshin.htm
以前の方が歴史感じて良かったなぁ~・・・
画像左側


画像右寄り、駐車場


画像向かい、資料館右側


普通にすぐ道路がこの場所を錯覚させます。
(この場所は崖なのに道路は現代なので)
資料館の前に気になったマンホール


では資料館に入り左側


ボランティアさんと盛り上がってるし、ガキんちょがうるさくってねぇ~・・・
画像左の壁


出撃の様子で、こうして人形使って表現されてるのはわかり
やすく面白い


右奥の人形は、武田に敗れて逃げてる状態



家康は命からがら浜松城に逃げ込みました。
家康は、攻め返すように見せかけて、なんとか武田軍の城攻めを免れました。
ボランティアさんの後ろ


家康、反撃


地理に詳しくない武田軍は混乱し、崖に転落して多くの死者を出したという
このまま逃げ帰るのはシャクだと思ったのか、崖から反撃をして
逃げ帰ったのだ。

あの有名な、負け戦の戒めとして描いた絵の描いてもらってる
状況




この絵で戒めて、負け戦はその後無かったそうです。
久能山東照宮にも銅像としてありました。(写さなかったけど)
だからこの地、浜松は出世の街として栄えてます。

ました。その後の歴代浜松城主も、江戸幕府内で目覚ましい出世を果たしました。
現代になると、ものづくりのまち浜松からは、やらまいか精神のもと世界的な企業が次々に
誕生していきました。
また、浜松には、うなぎや餃子をはじめとする人の活力となる食があります。
そして、海・山・湖・川・森林など人の心を癒す自然があります。
こうした浜松のパワーは、人々のやる気を呼び起こす原動力になっています。
出世とは、決して働く人のためだけの言葉ではありません。
自らを成長させ、夢を叶えること。
目標に向かって努力を重ねること。
生きがいややりがいを持ち、幸せになること。
それが浜松の“出世”です。
出世を目指すすべての人たちによって浜松はますます活気あふれるまちになります。
資料館出入り口目の前奥に


太鼓の右側に


資料館出入り口入って右側


前の建物のお屋根にあった物ではないかな。
ボランティアさんが居たところのジオラマ


これらのジオラマと人形を使って、TVのDVDでは三方ヶ原の合戦
を上手く説明してました。(わかりやすかった)
外に出、資料館の左側に


前のお堂について
資料館、右側面側に回り


資料館の建物裏を通り、資料館左側奥に


三方ヶ原の合戦の負け戦のシンガリを勤めた本多の碑

家康側近、徳川四天王の一人、本多忠勝の叔父様でした・・・

犀ヶ崖資料館の敷地内に本多肥後守忠真の戦功碑がある。忠真は本多平八郎忠勝の
叔父にあたる、徳川の武将であった。武田勢との三方ヶ原合戦では、刀一本で敵中に
斬り込み討死した。享年39歳であった。
いよいよこの公園内、右に資料館で、左が


崖を覗いてみました。 左に見えてるのは崖見学用の展望台
結構な崖で驚き、かなり深いので吸い込まれそうだった・・・
展望台から右側


左側


画像左側


普通にここだけ崖で、画像真ん中の看板


看板後ろが崖 画像左側、道路側に碑


画像右側


更に画像右側に


思ってた以上に凄い崖でした・・・

年に、静岡県の史跡に指定されています。現在は長さおよそ116m・幅およそ29〜34m・
深さおよそ13mです。
しかし、三方ヶ原の戦いがあった当時の崖の大きさや深さははっきり分かりません。
次回はランチのご紹介です


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なり、23℃

明日いっぱいは空気綺麗です

昨夜はど~もやる気が起きず、軽鬱っぽくなり、弁当作れません
でした・・・ 作りたかったのに・・・
そうゆうのが鬱っぽいのです・・・
今宵はZくん、No残業dayで居るから、なんとか出来そうかなぁ~
早寝も出来てないし・・・
どうも仕事の打ち込み内容が変わった時から、今迄以上に
集中力出して間違わないように入力しないとダメになったから、
寝つき更に悪くなった気がします・・・
ここのところ、アスパラ液飲まないと神経高ぶってて寝落ち
しなくって・・・ そのせいだとやっと気づき・・・
GWからの坐骨神経痛もなかなか復活しなく、ストレスフリ~に
なったけどそうゆう体調不良はまだ治ってなく・・・
何日か平日休んでゆっくりしたい気分になってます・・・
ある意味、5月病・・・

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前記事の続きで、浜松城内に入りますと目の前に



往時の石垣の上に新天守閣が再建された浜松城。
展望台からは浜松市街を一望、城内には家康と城下町浜松にまつわる歴史的資料、
武具などを展示しています。
永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に
攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しま
した。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元
年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠
経営の拠点としました。


2015年 徳川家康公400年記念事業として制作された30歳前後の等身大家康像。 「手相
・しわ・毛穴」まで再現され、今までにない家康公の姿を披露しています。是非ご 覧ください。

画像左側だったはず・・・


確か画像左裏


城内入って真ん中に階段で


画像左回りをし


2階へ登り、浜松城周辺のジオラマを写し



天保年間(1830~43)の浜松城と城下町の様子を縮尺600分の1で再現(ナレーション
解説付き)。
階段左横に鎧


画像左側に歴代城主の年表


やはり初代は徳川家康(若き日と言ってももぉ~31歳)
3階に上ったら



北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日には、東に富士山もくっきり
見えます。

画像左に


(戦国バサラと言うゲ~ムのキャラクター)
反対側から


画像左側の東側を


目の前、二の丸だった小学校グラウンド


画像右側、浜松市役所



富士山はくすんでてちっとも見えませんでした・・・
下、入って来た門


手前のお屋根を


天守閣のお屋根内側



斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、
ほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法をとっています。「梯郭式」とは、各曲輪が隣接
しながら、階段状になっている様式のことで、本丸の背後が自然の防衛線になるような
城に多く見られます。
確か2階部分の展示鎧



天守閣地下に残る井戸



と言われる。

見学終わってお外に出、城内出入り口左側面下を



画像左側に井戸



左側面側から浜松城を


画像右側が入って来た門で、その上見学出来ます


天守門入り口へ行く途中で、浜松城全体図が美しく撮れるので



就いた者も多く(老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人、寺社奉行4人※兼任を含む)、
浜松城は「出世城」と言われるようになりました。なかでも有名なのが天保の改革を行った
水野越前守忠邦。天下統一を果たした家康にあやかって、自ら進んで浜松城主になった
と言われています。
で、画像右側に天守門入り口があります


あの入り口付近を


中を写してみた


門の上なので、有料だし少々だしで見学しませんでした。

(平成26年3月復元)
門を出て左上に


ここで買ったお土産品は


いい感じの置物がここでも無かったのでマグネットタイプ
そして、これは買っておこうと思い



浜松市内には、三方ヶ原の合戦にまつわる地名が残っています。たとえば、「合戦に
敗れた家康軍は逃げ帰る途中に空腹をおぼえ、1軒の茶屋に寄って小豆の餅を食べて
いました。そこへ追ってきたのが武田軍。家康は慌てふためき代金も払わず茶屋を飛び
出しました。驚いた茶屋の老婆は、数キロ先まで追いかけて、代金をもらうことに成功
しました」…そんなことから、この茶屋のあった場所を「小豆餅(あずきもち)」、老婆が
お餅の代金を受け取った場所を「銭取(ぜにとり)」と呼ぶようになったそうです。

【御菓子司 あおい】小豆餅





包まれてる包みを外すと




あっし好みで美味しかったです


次回は三方ヶ原の合戦での犀ヶ崖のご紹介です


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帰宅後、一瞬空気晴れるので、その時におうちの中空気入れ
替えします

昨夜は予定外のZくん早い帰宅で、あっし、消灯時間遅くなり
寝不足・・・ 定期券買う為早く退社したそうな。
今宵は早寝しようっと・・・出来るかなぁ~・・・
例の買えなかったBlu-ray レコーダー新作出たけど、別に
スマホ対応出来る様になったくらい・・・
前のでいいんですがぁ~~~~


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その前に、東照宮の社務所で購入してた物


家康、出世御守

裏


ではでは5/4(金)の朝食会場は、前日頂いた中華料理のお店で


また夜と同じ場所の席で、あっしの目の前右寄り


持ってきたもの


画像左側にも飲み物があったので、コーヒー飲みました

(すっぴんでお食事し、食後お部屋で化けます)
では浜松市へ出発し


この様にいいお天気で、デッカイドウからすると物凄く道の狭い所を
走り、途中浜松まつりの日なので、町内のお神輿など出動して


提灯見ると「助信町」のですね。
街中にある、浜松城公園駐車場に停め


まだまだ全然早かったので、停め放題


戻って来た時はもぉ~待つ程の満車・・・

左下、昔の図


ここから天守台へ歩いて行きます


公園入り口で、更に奥歩いて一旦開ける分岐点左に看板


直虎は昨年の大河ドラマで、あっしは3月に見終わったばかり
なので新鮮です。(FC2の画像は、画像クリックでガラ携でも大きくなり文字見られます)

更に真っ直ぐ歩いて行きます



木漏れ日好きぽんです

歩いてる途中②にこうゆう看板があり



ちょっと作られたっぽい石垣


歩いてるといよいよ右奥に見えてきます


もぉ~向こう側へ


城内入り口の階段上る前に、画像右側へ


画像右、人がしゃがんでるところ


ここが本丸跡地

先程チラっと見えてた奥突き当たりへ行くと


家康様~(若き日の徳川家康)
画像左側の石垣が気になり・・・


画像右側の景色


浜松市役所です。

城内への階段左側に



画像右側


では城内へ階段上りまして最初の門


確か門の左に


門入って左の門脇、鏡石


門くぐると一旦開けて、左側から目の前のお城の石垣を


浜松城全体図



門くぐって右側の石段


画像左の浜松城下にある看板類




浜松城左側


この立ち位置後ろ振り返り、くぐった門を


では城内への石段を登り


入り口受付へ


次回は浜松城内のご紹介です


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チャイナァ~から直で酷い・・・ 窓開けられません・・・
会社ではマスクです・・・
昨日迄の土日は、実家の八重桜を見に帰省してました

しかし・・・行く前日と(日)、睡眠時間確保出来ず眠くて寝不足
状態で大変疲れ・・・
昨夜、早寝したので本日は復活です

で、今日は20〆の請求書作成日なので、記事更新出来る
かなぁ~・・・と思ったけどなんとか

今週は何にも無い一週間でゆったりぽんです


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泊まったホテル(飛行機とセットプラン)は、パレスホテル掛川



心からのおもてなしと和の風情を優しく漂わせたたたずまい。
シティホテルとは思えない『和の寛ぎ』をご用意してお待ちしております。
画像左側はレストランで、右側


では正面入り口に入って行きます


中に入って右側へ


中入って左側のレストラン


画像右、日本料理(3日前に予約営業) 左、中華料理(朝食会場でもある)
中入って右に向かう途中の先程写した右側の滝


左にチラっと見えてるところが受付です。
中に入って目の前に、館内案内図


光過ぎて、ガラ携ではピントが合わず・・・
受付へ向かって歩き、通路突き当たり右がフロント、左が


ロビ~にウェディング
通路突き当たりに


なんだかわからないオブジェ
画像左右にエレベ~タ~で大浴場があります


チェックイン(19:10)をし、自分でお部屋へ行きます


扉を開けて目の前奥


画像目の前の窓


画像左側


こうゆうお部屋で、部屋入って右側にデスク


ベッド部分を窓側から


画像左、出入り口の通路へ


鏡の中身は


クローゼット(左側デスク)
鏡の右側が出入り口の扉


画像右側


ユ~ティリティ~(洗面台の受けが結構深く、使いやすかった)
浴槽方面からトイレ上を


お部屋に戻り、デスクの右下


冷蔵庫内は空っぽ。

左、デスク部分


ベッドの上には浴衣が置いてありました


大浴場行く前に小腹対策で、1階にある中華料理へ


中国料理 敦煌(Tonkou)
あっしの目の前右寄り


手前テ~ブル、朝食会場になる部分(バイキング)
奥、回転テ~ブルがあるお席


あっしが頼んだ部分


Zくんが頼んだ部分


Zくん、アサヒスーパードライ瓶ビ~ル、あっしは杏露酒(あんずしゅ)

頼んだおつまみは、あっしの大好物


黒酢の酢豚

めちゃくちゃ美味しかった


他に前菜として


バンバンジー

ごまダレがまた美味しかったお。 さすがホテルのレストラン

メイン的に


五目入りあんかけ焼きそば

いろいろ入ってて、しょっぱくなくやさしいお味で美味しかった


この後、30分ゆったりした後、大浴場へ行ったが、また女性の
洗い場が4つしか無い状態で、あっし、裸のままでベンチで10分位
待った・・・(ルートインの様に少ない・・・)


皆、急ぐ素振りも無く図々しかった・・・(殆ど一つの場所で1家族)
男性はコレ





洗い場はかなりあった様です・・・
入浴後女性の階、4階に




無料提供。
画像右側が女性大浴場
次回は浜松市方面のご紹介です


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昨日は午後早退し、労働基準監督署へ出向きました。
あっしは今、物凄く環境良くなったけど、いざと言う時、また脅され
るのでは無いか・・・と思い、自分への保護として、労働基準監督署
へどうしたらいいのかお話しに行き、こんな事があり相談に来ました
と言う記録が残る様に自分のお守りとしてお願いしました。
対策法は教えてもらい、何かあったらすぐに用紙にメモっておいて
記録することが大事と。
幸い、あっしは忘れるからメモする人なので大丈夫であったが・・・
メモする形式(言われた時間とかリアルに)とかの用紙、その後の
訴える為の用紙を貰い、退散しました。
最悪な方々だと、相談しながら泣きじゃくる人達が多いとの事・・・
そして大抵3・4年勤務してる人達だそうで、あっしなんて20年勤務
なので栄誉称えられて驚かれました。
だから根本的にはあっしはつおいそうです。
そりゃそうだ・・・今物凄く気持ち悪い位、気遣ってもらってるので(笑
ネチネチ型が一番厄介だそうで、そうゆう人にやられてる人が泣い
てるそうです・・・(弁護士に100万かけても解決しないそうな)
あっし、こうして仕返ししようとして対策練る人だからつおいのかも
です・・・
Zくんも所長になり立ての時、かなりパワハラ受けて、頭のてっぺん
薄毛になってしもうて・・・ 最後の最後につぶやかれました・・・
「辞めたい・・・」って・・・
でも、何故だかその後とんとん拍子でそのパワハラした人、
居無くなり状況良くなって

労働基準監督署ってイメ~ジでは仕事中怪我をしたら申請する所
って思ってたけど、ドラマで中身の仕事を知りこのご時勢、職場の
相談もしてくれて訴える事が出来る弁護士の様な無料でやって
くれる機関だから、悩まれて過労死するくらいなら、絶対相談しに
行くべきところだと思います。
今の若い子も知らないであろうから、どんどん広まって自分を
守って欲しいです。
あっしも若き日は耐えて②耐え抜いた人なので・・・
今の会社なんて屁なんです(笑

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