FC2ブログ
では予告通り前記事の続きでGW10連休5/3(金)福岡旅行記

城跡のご紹介
です




太宰府天満宮の駐車場に戻り、レンタカ~で次の場所へ移動

SN3S0588_20190605104521f13.jpg

この景色は、太宰府天満宮のお隣にある、九州国立博物館が

あるお山を越える途中の図
(13:30)





次に向かった場所の駐車場へ (Zくんが予めグ~グルの地図で調べてくれ
てる)

SN3S0589_201906051046586d2.jpg

この辺でようやとデッカイドウからすると物珍しい瓦のお屋根

SN3S0590_2019060510470057e.jpg

福岡はなぜか瓦のお屋根をあまり観なかったので・・・

SN3S0591_2019060510470286d.jpg

この画像右側が駐車場で、画像目の前に見えてる所へ行きます

SN3S0592_2019060510470118a.jpg

この画像立ち位置右後ろを振り返り、駐車場 (13:42)

SN3S0594_20190605104716b14.jpg



では目の前の画像左側へ歩いて行きます

SN3S0593_20190605104704119.jpg

画像真ん中奥右に見えてる案内板を

SN3S0595_201906051048164f6.jpg

現在地を画像に赤をしておきましたが、ここは・・・

SN3S0596_2019060510483905f.jpg

秋月城下町 (あきづき)

 秋月は、標高約860m(859.5m)古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、南に開け
た町です。地理的に攻めにくく、守りやすい盆地にあります。
 中世に秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代と
城下町としての歴史は大変古く、現在の街並みは黒田氏によってつくられました。

 天正15年(1587)戦国時代豊臣秀吉の九州征伐の際、秋月種実は徹底抗戦を決め
ます。重臣の恵利内蔵助暢尭(えりくらのすけのぶたか)は秀吉軍の強大さから勝ち目
がないと和睦を進めますが聞き入れられず、家族もろとも死を持って止めようとしました。
その場所に記念碑が建っています。(恵利暢尭殉節碑)

 明治までは城下町として賑わっていたのですが、秋月の乱で武家の没落と主要幹線
から離れた立地が近代化や開発から取り残され、結果として、城下町の姿は残りました。

 国の重要伝統的建造物群保存地区は全国では117地区、その中で城下町は4地区
あり(平成29年11月28日現在)、町全体が指定されているのが、秋月の特長です。
 町割り、屋敷割り、道路網と水路網、城館跡、武家屋敷、町屋の城下町の様子が
周辺の自然景観、田園景観と調和し、歴史的風致となっています。




画像左側へ行くと

SN3S0597_2019060510484123b.jpg

昨年出来たとされる、朝倉市秋月博物館 (13:46)

SN3S0598_20190605104842e4f.jpg





階段登りきって左に折れると入り口

SN3S0599_20190605104842d57.jpg

画像右側

SN3S0600_20190605104844b14.jpg

中に入って右側

SN3S0601_201906051050098a8.jpg

画像右側が博物館内 (撮影)

SN3S0602_2019060510501065e.jpg

筑前の小京都と呼ばれ800余年の歴史を誇る秋月。
 静かにたたずむ街並みは、積み重ねてきた歴史と文化を今に伝えています。
 その秋月の地に、朝倉市の歴史や文化に触れる場所として「朝倉市秋月博物館」が
開館いたしました。
 新しい博物館は、現在まで秋月の歴史を発信する役割を担っていた「秋月郷土館」が
所蔵する貴重な資料を総て受け継ぎ、新たな視点に基づいた展示をご覧いただけます。

 当博物館は杉馬場通に面した、秋月稽古館跡に建てられています。
 秋月藩が文武を奨励した精神を受け継ぎ、温故知新を実践する博物館です。




博物館を出、右側へ更に歩いて行くと左手に (14:29)

SN3S0603_20190605105012290.jpg

秋月美術館

ここは博物館が出来る事によって2年前に閉館してる様ですが、

この日の様に他の展示会に使用してる様です。




ここは寄らず、更に進むと右手に

SN3S0604_20190605105013374.jpg

こうゆう感じで、所々に看板があります。

SN3S0605_20190605105015722.jpg





木々の木漏れ日が綺麗だったので、歩いて来た方向後ろを

SN3S0606_20190605105036568.jpg

もちょっと前に進み、右角にお土産屋さんが

SN3S0607_201906051050374df.jpg

筑前の小京都と呼ばれる秋月(あきづき)は、文政2年に創業した本葛(本くず粉)製造
専門店があり、九州産の天然葛根にこだわり、今も伝統的手法で作られている本葛(本
くず粉)は、福岡でぜひ食べてほしい逸品です。


SN3S0608_20190605105048284.jpg





って事で秋月は本葛が名産の様なので、お土産品も葛製品ばかり

なので、一つ買ってみた
(14:33)

SN3S0009_201906051057391d7.jpg

秋月の葛素麺

SN3S0010_20190605105740515.jpg

小麦粉に秋月葛と特殊澱粉を加えました。
コリコリ、つるつるとした歯ごたえを堪能していただけます。
弾力があり、しかもコシがある独特の食感は葛素麵ならではのものです。


SN3S0011_20190605105742bf0.jpg


お土産屋さんのその先から後ろ振り返っての図 (画像左にお土産屋さん)

SN3S0609_201906051051501f7.jpg

この図から奥に駐車場へ戻る形で歩き、左に出てくる階段

SN3S0610_201906051051516f2.jpg

秋月城跡の長屋門 (14:42)

SN3S0611_201906051052099f6.jpg

長屋門は奥御殿へと至る門であり、唯一城内の原位置に残っています。
昭和62年より解体修復工事を実施し、嘉永3年(1850)に建てられたことがわかりました。


SN3S0613_201906051052373ff.jpg





この画像右側

SN3S0612_20190605105235b20.jpg

そして左側

SN3S0614_20190605105239c4d.jpg

目の前の長屋門の階段を上り切ったら、左側

SN3S0615_20190605105240e67.jpg

奥に見えてるのは、秋月中学校

ここは、秋月城跡


秋月藩主である黒田長興が陣屋形式として整備した県指定史跡
元和9年(1623)、福岡藩主黒田長政の遺命により、三男長興に夜須郡・下座郡・嘉麻郡
の内五万石が分与され、秋月藩が成立した。長興は、翌寛永元年秋月に入り、陣屋
形式として整備したのが秋月城。この城の前身は、秋月を知行地として与えられていた
長政の叔父、黒田直之の居館であり、直之の死後10年以上放置されていた。城内は
表御殿と奥御殿の二つに分かれ、背後に山、前面に堀・石垣・櫓を設け、出入口は前面
の二ヶ所のみとした。







画像右側

SN3S0616_20190605105259f7f.jpg

階段上り切ったら目の前

SN3S0617_20190605105301826.jpg

画像右側に神社へ通じる道があり、右側

SN3S0618_20190605105302801.jpg

左側

SN3S0619_20190605105304a54.jpg

画像左側

SN3S0620_20190605105305723.jpg

画像右には行かず、左側へ行きますと

SN3S0621_20190605105423d0d.jpg

SN3S0622_20190605105425270.jpg

画像左向かいに

SN3S0623_20190605105427d93.jpg

秋月城本門(黒門

黒門は明治13年(1880)に移築され、現在は秋月黒田藩祖である黒田長興を祀る
垂裕神社の参道にありますが、本来は秋月城の大手門として、城の前面堀割にある
瓦坂の奥、右側に建っていたものです。
形式的には江戸初期のものとされますが、中世秋月氏の本城「古処山城」の搦手門
(からめてもん)であったという伝承も残っています。








画像左に案内板

SN3S0624_201906051054275b2.jpg


では、右の黒門を通って左へ行きます (14:50)

SN3S0625_201906051054286be.jpg

画像右側 (くる~っと下って行きます)

SN3S0626_20190605105526563.jpg

目の前突き当たり付近

SN3S0627_20190605105528e8e.jpg

そして右手の建物へ (14:53)

SN3S0638_20190605105540fff.jpg

古処庵 (こしょあん)

秋月城跡に続く杉の馬場通りの奥にある食事処。店の前には、紅葉の木がたくさん
植えられ、四季折々のすばらしい景観を楽しみながら食事ができる。桜と紅葉の季節
は、ずらりと行列ができる人気店だ。こだわりは自家産の米。古処山から流れる澄んだ
水で育った米は、艶があり味わい深い。野菜やもち米も自家産のもの。「山菜おこわ定食 
980円」は、そのおいしい米を堪能できる同店の看板メニュー。また、女性にヘルシーさが
うけているのが、「地鶏冷やしそば」。冷たいそばの上に、地鶏と野菜がたっぷりと乗って
いる。地鶏は注文を受けてから焼くので香ばしさが残り、そばとの相性も抜群!








ここで昼食にしました。     中に入って左奥右へ座り

SN3S0628_20190605105555f55.jpg

あっしの右壁で、あっしの左前

SN3S0629_20190605105557e3c.jpg

あっしの右寄り目の前

SN3S0632_201906051055589bf.jpg

画像左が厨房     テ~ブルの小物達~~

SN3S0630_201906051056150d2.jpg

頼んだ部分のメニュ~

SN3S0631_201906051056172a0.jpg


来ました~~~ (15:04)

SN3S0633_201906051056180d0.jpg

二人共、山菜おこわ定食

SN3S0634_20190605105619ded.jpg

SN3S0635_2019060510562117d.jpg

SN3S0636_2019060510562386e.jpg

葛そばも食べられ、右上には

SN3S0637_201906051056256cd.jpg

葛もちもありまして、いろいろ全部食べられました。


大満足過ぎて、急遽昼食をここに決めたのが大正解でした


お店出たら、ここのマンホ~ル (15:26)

SN3S0639_201906051057032d3.jpg



駐車場を出、城下町通りの左側に (15:53)

SN3S0641_2019060510570637e.jpg

秋月 目鏡橋

SN3S0642_20190605105707db0.jpg

藩主の命を受け家老宮崎織部が長崎の石工を雇い文化7年(1810年)に築造させた
石橋です。 この橋は我国唯一の御影石(花崗岩)造りの石橋であり県指定有形文化財
になっています。
御影石は墓石などに使われる石なので、石の中でも高級の部類に入る石で、 秋月城下
町の入口にあった橋であり、りっぱな石橋を造ろうとした当時の入れ込みを感じます。
しかし、この石橋を造るには大変な苦労があったようです。と言うのは、 この橋は1805年
(文化2年)に工事が開始され、約2年後の完成直前に崩壊してしまったのです。再度の
工事で1810年(文化7年)にようやく完成しました。工事を開始してから5年の歳月が掛っ
ての完成なのです。







お宿の方へ戻り途中に電車

SN3S0643_2019060510570967c.jpg


その後、右側に

SN3S0644_20190605105711cc0.jpg

ここは寄らなかったので車内から、水城跡

SN3S0645_2019060510571257e.jpg

唐と新羅の攻撃に備えて全長1.2kmに渡り築かれた防衛施設「水城」跡
水城を築いた理由
大宰府のある北部九州は日本中で一番中国や朝鮮に近く、原始時代から盛んな交流
があり、進んだ文化はまずこの地方にはいってきた。こういう大切なところなので、大和
朝廷は早くからこの地方を治め、外国との交際をした。
しかし663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻
に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。
敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、
「大宰府」が誕生したと考えられている。このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要
な所であった。







次回はお宿へ戻って夕食に5/4(土)最終日のご紹介です




にほんブログ村 本日も行って帰って来るクリックいいね
感覚で(登録してないので・・・)宜しくお願い致します 

皆様の応援で順位が随分と変わり、皆様と順位を上げてる事が
感じられて嬉しいです




  本日も記事が長くて時間かかってしもうた・・・


本日のデッカイドウ22℃ので暑めだけど長袖ブラウス、袖めくり

で十分。



昨夜は、お盆の温泉宿予約で夜更かししてたお陰で、本日の

午前中はめまいしてきてふ~~らふら・・・   寝不足・・・



明日は、エステ

来週の健康診断の為の絞り施術です


今宵こそ、早寝するゾ





にほんブログ村

読んで頂けたらポチ♪応援、宜しくお願いします
















スポンサーサイト



Secret