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では予告通り三方ヶ原の合戦での犀ヶ崖のご紹介です


行く予定では無かったけど、浜松城で情報得た家康ゆかりの

散歩道
の一つが気になり行ってみました
(10:40)

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犀ヶ崖古戦場

崖に布を張り、橋とみせかけ、迫る武田軍をこの谷に落とした。
 徳川勢と武田勢との三方ヶ原の合戦(1572)は夜になって徳川勢は敗走した。
追いかけてきた武田勢は地理不案内のうえ、夜のため多くの者が崖から落ちて大損害を
被ったという。史跡碑と資料館(宗円堂)がある。
 また崖の傍に大島蓼太(りょうた)の「岩角に兜くだけて椿かな」の句碑がある。
(蓼太は「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の句で有名)


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浜松の名付け親は徳川家康
 浜松は、戦国のころまで引間(曳馬・引馬とも書きます)と呼ばれていました。 元亀元年
(1570)徳川家康は遠江地方を支配する拠点として引馬城に入城、城の大改築を行い
ました。このとき引馬を浜松に改めました。
 家康の浜松城の築造が浜松の名の出発点となったのです。
 そして天正14年(1586)駿河府中に移るまでの17年間、家康は浜松に在城すること
になります。家康にとっては29歳から45歳の働き盛りの年代にあたります。
 この間、武田信玄と戦った三方ヶ原の合戦や、家康の転機ともなった姉川の合戦など
の経験をもとに多くのことを学び、、名将家康へと飛躍していくのです。



看板画像右側に

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平成27年4月1日(水曜日)にリニューアルしてしまった、

犀ヶ崖(さいががけ)資料館

犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。
また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されて
きました。 遠州大念仏はこの戦没者の供養のためとされています。
浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、
昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦い
に関する資料を展示することにしました。
この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる
文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和
14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。


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(リニュ~アル前の宗円堂  画像お借りしました)
http://hama.world.coocan.jp/saigagakeshin.htm

以前の方が歴史感じて良かったなぁ~・・・


画像左側

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画像右寄り、駐車場

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画像向かい、資料館右側

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普通にすぐ道路がこの場所を錯覚させます。
(この場所は崖なのに道路は現代なので)


資料館の前に気になったマンホール

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では資料館に入り左側

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ボランティアさんと盛り上がってるし、ガキんちょがうるさくってねぇ~・・・

画像左の壁

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出撃の様子で、こうして人形使って表現されてるのはわかり

やすく面白い


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右奥の人形は、武田に敗れて逃げてる状態

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元亀3年12月22日(1573年2月4日)「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に大敗した徳川
家康は命からがら浜松城に逃げ込みました。
家康は、攻め返すように見せかけて、なんとか武田軍の城攻めを免れました。


ボランティアさんの後ろ

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家康、反撃(武田信玄公はそれだけつおかった)

その夜、家康はどうにか一矢を報いようと犀ヶ崖近くで野営する武田軍を急襲しました。
地理に詳しくない武田軍は混乱し、崖に転落して多くの死者を出したという



このまま逃げ帰るのはシャクだと思ったのか、崖から反撃をして

逃げ帰ったのだ。


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あの有名な、負け戦の戒めとして描いた絵の描いてもらってる

状況
 (絵を描いてもらう前、逃げ帰って怖くて思わず家康はをもらしたそうな)

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この絵で戒めて、負け戦はその後無かったそうです。

久能山東照宮にも銅像としてありました。
(写さなかったけど)


だからこの地、浜松は出世の街として栄えてます。

徳川家康公は、浜松で29歳から45歳までを過ごし、天下人となるための礎を築き
ました。その後の歴代浜松城主も、江戸幕府内で目覚ましい出世を果たしました。
現代になると、ものづくりのまち浜松からは、やらまいか精神のもと世界的な企業が次々に
誕生していきました。

また、浜松には、うなぎや餃子をはじめとする人の活力となる食があります。
そして、海・山・湖・川・森林など人の心を癒す自然があります。
こうした浜松のパワーは、人々のやる気を呼び起こす原動力になっています。

出世とは、決して働く人のためだけの言葉ではありません。
自らを成長させ、夢を叶えること。
目標に向かって努力を重ねること。
生きがいややりがいを持ち、幸せになること。

それが浜松の“出世”です。

出世を目指すすべての人たちによって浜松はますます活気あふれるまちになります。



資料館出入り口目の前奥に

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太鼓の右側に

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資料館出入り口入って右側

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前の建物のお屋根にあった物ではないかな。

ボランティアさんが居たところのジオラマ

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これらのジオラマと人形を使って、TVのDVDでは三方ヶ原の合戦

を上手く説明してました。
(わかりやすかった)


外に出、資料館の左側に

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前のお堂について


資料館、右側面側に回り

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資料館の建物裏を通り、資料館左側奥に

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三方ヶ原の合戦の負け戦のシンガリを勤めた本多の碑

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家康側近、徳川四天王の一人、本多忠勝の叔父様でした・・・

三方原合戦で果てた徳川の勇者の一人
 犀ヶ崖資料館の敷地内に本多肥後守忠真の戦功碑がある。忠真は本多平八郎忠勝の
叔父にあたる、徳川の武将であった。武田勢との三方ヶ原合戦では、刀一本で敵中に
斬り込み討死した。享年39歳であった。



いよいよこの公園内、右に資料館で、左が

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崖を覗いてみました。  左に見えてるのは崖見学用の展望台

結構な崖で驚き、かなり深いので吸い込まれそうだった・・・


展望台から右側

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左側

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画像左側

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普通にここだけ崖で、画像真ん中の看板

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看板後ろが崖    画像左側、道路側に碑

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画像右側

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更に画像右側に

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思ってた以上に凄い崖でした・・・

犀ヶ崖は浜松城の北側およそ1kmにある断崖。三方ヶ原古戦場として昭和14年(1939)
年に、静岡県の史跡に指定されています。現在は長さおよそ116m・幅およそ29〜34m・
深さおよそ13mです。
しかし、三方ヶ原の戦いがあった当時の崖の大きさや深さははっきり分かりません。







次回はランチのご紹介です




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  本日のデッカイドウ、久々に12時から窓も開けられる空気と

なり、23℃予報だけど風冷たかったです・・・


明日いっぱいは空気綺麗です



昨夜はど~もやる気が起きず、軽鬱っぽくなり、弁当作れません

でした・・・  作りたかったのに・・・


そうゆうのが鬱っぽいのです・・・



今宵はZくん、No残業dayで居るから、なんとか出来そうかなぁ~



早寝も出来てないし・・・

どうも仕事の打ち込み内容が変わった時から、今迄以上に

集中力出して間違わないように入力しないとダメになったから、

寝つき更に悪くなった気がします・・・


ここのところ、アスパラ液飲まないと神経高ぶってて寝落ち

しなくって・・・   そのせいだとやっと気づき・・・



GWからの坐骨神経痛もなかなか復活しなく、ストレスフリ~に

なったけどそうゆう体調不良はまだ治ってなく・・・


何日か平日休んでゆっくりしたい気分になってます・・・

ある意味、5月病・・・





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